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2026/5/3 イザヤ書38章21〜39章8節「何一つ残らず」

 ヒゼキヤ王が、死を宣告された病気から回復した時の後日談が今日の箇所です。その病気がどうやら腫物はれものだったらしいと分かるのも今日の21節で、一塊の干し無花果いちじくを塗る、というのも当時の民間療法だったのでしょうか。ともかく、それでもまだ完全に回復する手前で、

22ヒゼキヤは言った。「私が主の宮に上れるしるしは何ですか。」

 こう言って、死を告げられた重病が完全に癒されるしるしを求めた、というのです。平行箇所の列王記では順番が違って[i]、38章7~8節の「日時計の影を十度後に戻す」というしるしがここに与えられています。それとは異なり、イザヤはヒゼキヤの問いを38章最後において、続く39章でヒゼキヤの病気と回復を聞いたバビロンの王が、使いを送ったことが書かれます。

そのころ、バルアダンの子、バビロンの王、メロダク・バルアダンは使者を遣わして、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。彼は病気だったが元気になった、と聞いたからである。

 当時バビロンはまだアッシリアの更に遠い東、接点のない国でした。その国の王が自分の回復を祝って、手紙と贈り物を託した使いをよこした。ヒゼキヤは感激し、浮かれてしまいます。

ヒゼキヤは彼らを喜び、宝庫、銀、金、香料、高価な油、一切の武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。

 ヒゼキヤの有頂天ぶりが良く分かります。国の財産も兵力も、全部見せる。ヒゼキヤも見せたがったのですが、バビロン王の使いたちも見たがったのでしょうね。というより、バビロン王メロダク・バルアダンは、バビロンの勢力を拡大させる野望で知られる人物です[ii]。ヒゼキヤに遣わしたのも、単なる親善大使ではなく、反アッシリア同盟を組むため、イスラエルの国力を探るためでした。バビロン自身の目論見を隠した――いいえ、その下心が見え見えの慰問でした。その彼らに、ヒゼキヤが喜び浮かれて、武器や宝を開けっ広げに見せたこと――今なら国家機密として秘匿すべき重要な情報です。それを自ら見せて回ったことは、バビロンと盟約を結ぶこと、いいえその配下に下ることを意味していました。そして、こんな有頂天になったのは、遠いバビロンからの使者がわざわざ来てくれたのが、何かの「しるし」に見えたからでしょう。病気の回復をイザヤが告げてくれた言葉もあり、日時計の影が十度戻る不思議も見せられても、それでもなお「私が主の宮に上れるしるしは何ですか。」と、特別なしるしを求めてしまうヒゼキヤには、思いもかけない遠い国からの使者が、天使か神の答えに見えたのではないか…と思えてしまいます。しかし、それは、彼の目が曇っていた、愚かな判断でした。

預言者イザヤはヒゼキヤ王のところに来て、彼に尋ねた。「あの人たちは何と言いましたか。どこから来たのですか。」ヒゼキヤは「遠い国、バビロンから私のところに来ました」と答えた。イザヤは言った。「彼らはあなたの家で何を見たのですか。」ヒゼキヤは答えた。「私の家の中のすべての物を見ました。私の宝物倉の中で彼らに見せなかった物は一つもありません。」

 「私のところに…私の家の…私の宝物倉の…」とヒゼキヤは繰り返します。イザヤへの無邪気な自慢かもしれませんが、一国の王として慎重さを欠いた行動となってしまったのです。

イザヤはヒゼキヤに言った。「万軍の主のことばを聞きなさい。見よ。あなたの家にある物、あなたの父祖たちが今日まで蓄えてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日々が来る。何一つ残されることはない――主は言われる――。また、あなたが生む、あなた自身の息子たちの中には、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者がいる。」

 将来のバビロン捕囚が予告されます。今見せた宝はすべてバビロンに持ち去られて、彼の子孫にもバビロンの王に仕える宦官となる者がいる…。実際、百年後の事ですが、この言葉は成就します[iii]。しかし、かといってヒゼキヤがこの時、彼らを倉庫に連れて行かなければ、バビロン捕囚にはならなかった…ということではないでしょう[iv]。後にも、バビロン捕囚をヒゼキヤのせいだとする記述はありませんし、Ⅱ歴代誌32章でも、この事に触れつつ、それ以上の触れ方はしていません[v]。バビロンは、既に広い領土を手に入れようと企てています。そのバビロンからの偵察隊の贈り物に、ヒゼキヤは能天気に舞い上がり、手の内を全部見せてしまう。その事実をイザヤはヒゼキヤに淡々と告げています。これを聞いてどう思ったのでしょうか。

ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は平和と安定があるだろう、と思ったのである。

 このヒゼキヤの言葉もどうなのでしょう。自分が生きている間さえ平和と安定があればよい、とあまりに自分勝手ではないでしょうか。先の38章では、自分の死を告げられた時は大声で泣いて祈ったのに、子孫のことなら「ありがたい」とは落差がありすぎます。勿論、自分の生きている間ではない、という事に主の憐みがあるのも事実でしょう[vi]。その憐みの中に謙った言葉であるのかもしれません[vii]。それでも、この言葉を盾にして、私たちが「自分たちの死んだ後より、今のところ大丈夫であればいい。後の事は、子どもたちに任せる」と言ってよいわけではないでしょう。日本の事、世界の事、教会の事…。「自分たちが生きている間は大丈夫そうだ」というような身勝手な感覚は、このヒゼキヤの台詞に重なって、帰って来るのです。

 ヒゼキヤ王は決して悪しき王には数えられません。むしろ、ダビデ王朝でも稀有な、敬虔王です。このイザヤ書でも、彼の祈り、謙り、知恵は鍵となる役割を果たします。けれどもそのヒゼキヤも不完全でした。私たちと同じ、人間で、心から主を信じ、救いを感謝する歌を歌いつつ、遠い所から自分のために来てくれたとか、思いがけない特別扱い、普通でない体験とかに舞い上がり、主を忘れ、調子に乗ってしまいかねない人でした。その間違いを指摘されても、素直に非を認めるよりも、身勝手とも、神妙な反省ともつかない言葉を吐いてしまうような、私たちと同じ人間でした。善い王ではあっても、完全な王ではない――つまりイザヤが語って来た、公正な支配を実現する王とはなり得ない。それがヒゼキヤであり、誰であっても、です。

 ヒゼキヤの限界と、その先に待ち受けているバビロン捕囚という重い将来が、この39章で示されます。そして続くのが、40章からの言葉です。ヒゼキヤやただの人とは違う、主ご自身による希望が、慰めが歌われていきます。最後、66章までかけて、主による力強く、不思議な回復が描かれていくのです[viii]。今日の39章の、歯切れの悪い記事は、その歯切れの悪さを通して、40章以降の言葉への導入となります。ヒゼキヤにまさる方がいるのです。遠くから来た貢ぎ物に浮かれたりしない王がいます。人の称賛や期待に舞い上がらない王がいます。しるしとして、石をパンに変えることも、天から火を降らすことも出来るけれど、それを退けた王がいます。自分さえ無事であれば有難い、ではなく、ご自分のいのちも平和も安定も献げて、私たちに、深い平和を下さる王がいます。私たちにはこの方がいてくださるのです。

 今日の所でヒゼキヤが見せた糠喜びは、私たちも陥りやすい弱さです。何かあれば「凄い!」と浮かれたり、調子に乗ったりしやすい自分がいます。そのような私たちだからこそ、イザヤ書はヒゼキヤの色々な面を描き出してくれています。このことに慰めを戴きましょう。そして、主に知恵を戴いて、嬉しい事には喜びつつも、羽目を外しすぎないように――自分の管理しているものを守る慎重さを持てるように――地上の財産などいずれは失うことを忘れないように――そして「自分さえ大丈夫なら有難い」という思いから主が強いてでも救い出してくださいますように。主は、私たちが恥もかき、大事なものを失い、今日の友が明日の敵ともなるようなこの世界を通して、主イエスこそ私たちの王、私たちの喜びだと告白させてくださるのです。

「主よ、あなたは私たちの王、私たちの喜び、宝です。いえ、あなたこそ私たちを喜び、宝としてくださるのです。どうぞ私たちの目を開き、しるしではなく視力を与えてください。見えるものや世間の声に振り回されず、むしろ、あなたという宝を、あなたを信じ、みことばに導かれる幸いを、お見せする者とならせてください[ix]。私たちを確かに捉え、私たちを恵みによって新しくし続け、私たちを通してなそうとしていることをなしてくださいますように」

[i] 列王記第二20・1~11、参照。

[ii] 幸いにも、アッシリアの記録はメロダク・バラダンに関する多くの情報を提供し、大まかな時期を定めるのに役立つ。メロダク・バラダンは、721年から710年までサルゴンに反抗してバビロンの王位に就き、最終的にサルゴンに追放されたと伝えられている。その後、セナケリブの治世下、705年から703年頃に再びバビロンの王位を奪取した。しかし、703年に敗北した後も、ペルシャ湾を越えたエラムに拠点を置き、反乱を扇動し続けたようである。 オズワルト

[iii] Ⅱ列王記24・13、エレミヤ書20・5、参照。

[iv] ヒゼキヤのこの傲慢さの罪がユダをバビロン捕囚に導いたと考えるべきではありません。14 むしろ、この罪は、国全体が示し、最終的に捕囚へと至るであろう、ある種の傲慢さと信仰への拒絶を象徴しています。したがって、この行為は原因ではなく、典型的なものです。 オズワルト

[v] Ⅱ歴代誌32・24~26と、同31節には以下のようにあります。この二つが、どう関係しているのかは諸説ありますが、いずれにせよ、後のバビロン捕囚の原因をヒゼキヤに帰するような記述とは読めませんし、ここ以外の箇所でバビロン捕囚とヒゼキヤを結びつける記述はありません。
そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。彼が主に祈ったとき、主は彼に答え、しるしを与えられた。25ところがヒゼキヤは、自分に与えられた恵みに応えようとせず、かえってその心を高ぶらせたので、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。26しかし、ヒゼキヤがその心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼もエルサレムの住民もそうしたので、主の御怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。27ヒゼキヤは非常に多くの富と誉れを手にした。彼は、銀、金、宝石、バルサム油、盾、すべての尊い器を納める宝物倉、28穀物、新しいぶどう酒、脂などの産物のための倉庫、さらに、あらゆる家畜のための小屋や、羊の群れの囲いを造った。29彼は町々を建て、羊や牛の群れもおびただしい数であった。神が、実に豊かな財産を彼に与えられたからである。30このヒゼキヤこそ、上方にあるギホンの水源をふさぎ、ダビデの町の西側に向かってまっすぐに流した人である。ヒゼキヤは、そのすべての仕事を成し遂げた。31ただし、バビロンの首長たちが、この地に示されたしるしについて調べるために彼のもとに使節を遣わしたとき、神は彼を試みて、その心にあることすべてを知ろうとして彼を捨て置かれた。32ヒゼキヤについてのその他の事柄、その誠実な行いは、「ユダとイスラエルの王の書」の「アモツの子、預言者イザヤの幻」にまさしく記されている。33ヒゼキヤは先祖とともに眠りにつき、人々は彼をダビデの子たちの墓地の上り坂に葬った。ユダのすべての人々とエルサレムの住民は、彼の死に際し、彼に栄誉を与えた。彼の子マナセが代わって王となった。

[vi] 参照、Ⅰ列王記11・9~13。また、「この節の適切な解釈については、解説者たちの間で意見が分かれています。ヒゼキヤを好意的に描写しているのか、それとも好意的に描写していないのでしょうか。大多数はこれを肯定的な表現と捉えているようです。カルヴァンはおそらくこの点で典型的です。彼は、ヒゼキヤが神の言葉は善であると告白した時、従順で悔い改めたのだと理解しています。さらに、カルヴァンは、ヒゼキヤがこの厳しい言葉を非難することなく受け入れることができたのは、神の究極の恵みを認識していたからだと確信しています。しかし、この見解は、続く「私の時代には平和と安定があるから」という一節によって深刻な疑問を投げかけられます。ヒゼキヤは、当然の罰をすぐには受けなかった神の恵みに謙虚に感謝しているかもしれませんが、神の言葉は善であると彼が言った真の理由は、自分が滅ぼされないという人間的な安堵感に過ぎないという含意を避けることは困難です。彼の子孫が滅ぼされるかどうかは、彼には関係ないようです。さらに、自身の死が差し迫った時、ヒゼキヤの反応は全く異なっていました(38:3)。これらすべてから、ここに描かれているのは本質的に否定的なものだと私は考えます。ヒゼキヤは約束された「子」ではなく、絶対的な存在でもありません。ユダの希望は、まだ来られる方にかかっています。確かに、ヒゼキヤは神が信頼できるということを証明しました。しかし同時に、彼は私たちが善人にも悪人にも信頼を置くことはできないということを証明しました。私たちは神のみに信頼を置くべきなのです。」 オズワルト

[vii] 「彼は後世の人々の幸せを願っていたが、復讐を遅らせることで神が示した寛容の印を無視するのは不孝であっただろう。なぜなら、その寛容の印によって、彼はこの慈悲がある程度子孫にも及ぶことを願うことができたかもしれないからだ…私たちは自らの時代のために最も尽力し、それを最も重視すべきである。未来を見過ごしてはならない。しかし、現在、目の前にある出来事こそが、私たちの真剣さをより強く要求するのだ…。彼 [ヒゼキヤ] は約束が批准されたことを知らされると、神に感謝し、これから起こる災難が悲惨で苦痛であると感じながらも、より忍耐強く耐えました (イザヤ書 III、193-94)」カルヴァン

[viii] 「罪深く、生まれつき不信感を抱く民、いや人種が、どのようにして神の僕となることができるのでしょうか。神が信頼できる存在であることは明白です。しかし、人々に神を信頼させるというのは全く別の問題であり、39章はそれを鋭く浮き彫りにしています。神への信頼が僕であることの基盤であるならば、何が私たちを神への信頼へと駆り立てるのでしょうか。では、神の聖なる性質と人間の罪深さはどうなるのでしょうか? これらはどのように調和されるのでしょうか? 究極的には両立しないのでしょうか? この対立は無視されるべきなのでしょうか?それとも、何らかの解決策があるのでしょうか? 結局のところ、7章から39章は1章から5章で提起された問題の解決の土台を提供していますが、それでも問題は残ります。罪深く反抗的なイスラエルは、どのようにして聖なる従順なイスラエルになることができるのでしょうか? 神を信頼するのでしょうか? はい、できますが、どのように? 40章から66章は、その問いへの答えを提供するために存在します。」、オズワルト

[ix] 「「彼らは、あなたの家で何を見たのですか」(15)とは、なんと厳粛な問いであろう。もしその問いが私たちに向けてなされたなら、私たちは何度も何度も次のように告白しなければならない。私たちを訪れた人々は、私たちの敬虔さ、家庭礼拝、子どもたちの礼儀正しいふるまい、私たちの愛と献身を見たのではなく、私たちの着物や装飾品、高価な布地、金銀の食器類を見たと。ああ、もしこうしたものが私たちの宝であって、その背後に、キリスト者の品性という、金では買えない貴重な宝や富を何も持っていないとしたら、それは実に悲しむべきことである。私たちはせいぜい番人か管理人にすぎない。私たちの持っているもので、もらったものでないものは一つもない(Ⅰコリント四7)。家の主人はいつどのようなときに帰って来られるか知れないということを、忘れないようにしよう(マタイ二四44)。」F・B・マイヤー『日々のみことば 士師記~歴代誌Ⅱ』(J・A・マカルピン訳、いのちのことば社、昭和47年)、307ページ。