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2026/4/12 イザヤ書38章1〜8節「いのちの階段を数える」

 ヒゼキヤ王が重い病気になった、と始まる38章です。前回までの36、37章と、次の39章までの四つの章には、ヒゼキヤ王が中心になった出来事が伝えられています。36、37章には、エルサレムを取り囲んでいたアッシリアの大軍が、ヒゼキヤ王の祈りに応えるように、神である主によって一掃された大きな出来事が記されました。ドラマチックな主の御業でした。そこから一転して、今日の38章と39章では、ヒゼキヤ王は病気で臥せっています。そこに、預言者イザヤもやって来て、主のことばを告げるのです。

…主はこう言われる。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない。』

これを聞いて

ヒゼキヤは顔を壁に向け、主に祈った。「「ああ、主よ、どうか思い出してください。私が真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたの御目にかなうことを行ってきたことを。」ヒゼキヤは大声で泣いた。

 病気で重体だったのですから、神殿に行くことも出来ず、顔を壁に向けるしか出来なかったのでしょう。大声で泣くのです。イザヤが告げた、主の言葉が「あなたは死ぬ、治らない」だとしても、黙って大人しく「御心の通りに」とは祈ったのではないのです。大声で泣いて、祈った、というのです。そして、その祈りを聴いた主は、イザヤに言うのです。

「行ってヒゼキヤに告げよ。『あなたの父ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう十五年を加える。わたしはアッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出し、この都を守る。…」

 主が前言撤回をした、と言える行動です。イザヤも預言者としての面目丸つぶれだと抗議するでもありません。この言葉をヒゼキヤに告げたようです。主の言葉は、堅く不変である一方、同時に、柔軟で、人の祈りや応答によって動く――言い方を変えれば、人の応答を待っているかのような――動的で、しなやかで、生き生きとしたダイナミックなものだとも言えるのです。

 勿論、この所から「では自分たちもどんな祈りでも聴かれる」とか「大泣きして祈れば主が寿命を十五年伸ばしてくれるのだ」と結論するのは早とちりです。むしろこの出来事は、イザヤ書の真ん中で、ヒゼキヤを中心とする四章の一部、特別な意味をもった事件です。アッシリア軍の包囲からの救出にも匹敵する、特筆すべき出来事です。そして、ヒゼキヤが死んだ年から考えて、その15年前の今日の38章は、アッシリア侵攻の前702年よりも前だったと考えられています[i]。つまり、この出来事は時系列で書かれているのではなく、あえて、アッシリア軍の撃破よりもあとに持ってきている、ということです。ここには、外からの脅威とは別に、ヒゼキヤも私達も同じように、いつかは――いや「いつか」と言わず、いつ命が終わるとも分からない、儚く、弱い存在であることを思い起こさせます。敵に囲まれて絶体絶命、というような経験もそこから救出という特別な体験はしなくても、病気や死、健康や将来が絶たれることは誰も逃れることが出来ません。ヒゼキヤ王もその一人でした。

 今日の記事も、列王記第二の20章にも書かれているものですが、幾つかの違いもあります。その一つがこの9節から20節までのヒゼキヤの詩・歌です。祈りとも感謝ともつかない詩文で特徴的なのは、自分のいのちが突然に終わることの悲しみの繰り返しです。

10私は言った。生涯の半ばで私はよみの門に入る。私は残りの年を失ってしまったのだ。11私は言った。私は主を、生ける者の地で主を見ることはない。私は、死人の国の住人とともにあり、再び人を見ることもない。12私の住まいは牧者の天幕のように引き抜かれ、私から取り去られた。私は、機織はたおりのように自分のいのちを巻いた。主は私を、機はたから断ち切られる。

 この後も、死に直面したヒゼキヤの喪失感、恐怖、圧倒的な無力感が歌い綴られます。この奈落の底に落ちていくような思いをした心境が歌われた上で、21節でイザヤがヒゼキヤに語りかける場面が再開される、という構造にあえてなっています。ヒゼキヤを英雄視させない、ひとりの死すべき人として、でもそれを運命とか誰もが行く道だとか主の御手に委ねて、と平静を装ったりしない。憚らずに大声で泣かずにおれず、その心境を言葉にした暗い歌が配されます。羊飼いの天幕のよう――すぐに移動のため引き抜かれる。機織りの布のよう――織りあげたらチョキンと切り離され、畳まれてしまう。そういう所を通らされたのは、「17ああ、私の味わった苦い苦しみは平安のためでした。あなたは私のたましいを慕い、滅びの穴から引き離されました。」とは歌うにせよ、その苦い苦しみの苦さを忘れずに言葉に刻むのです。

 この当時、ヒゼキヤの年はⅡ列王記18・2節からして39歳頃だった、と推測されます[ii]。そしてヒゼキヤの死後、息子のマナセが即位した時、彼は12歳だったとありますから[iii]、伸ばされた15年の寿命の間に生まれた――つまりこの時点ではヒゼキヤには後継ぎがいなかったのでしょうか。このまま死ねば、自分の後継者はいない。これは、単にヒゼキヤ個人の名を遺すかどうか、以上の大問題でした。ユダヤの王はダビデ王朝、ダビデに約束された、やがて永遠の王となるメシアがその末に生まれると約束された王家です。ヒゼキヤが子のないままで死ぬなら、メシアの約束はどうなるのでしょうか。平和の将来は、来ないのでしょうか。[iv]

 ですから5節は

あなたの父ダビデの神、主はこう言われる。

と始まるのです。ヒゼキヤが持ち出した、真実と全き心をもって御前に歩んできた、という実績には、主は一言も触れません。ただ主ご自身が祈りを聞き、涙をご覧になり、不思議にも前言を撤回して、15年もの第二の生を下さった。そのようにしてくださる主によって、ヒゼキヤも生かされているに他ならない。そう教えるのでしょう。この38、39章はヒゼキヤの弱さ、小ささ、無力さが目立ちます。祈りの人、大勝利を戴いた人、とヒゼキヤを英雄視することのないよう、ヒゼキヤがメシアだと期待する傾向に釘を刺すよう、引いては、誰であれ死ぬべき人間を理想化して、過剰な期待をかけないよう、自分たちの死といのちを見つめさせる――そういう38章なのです[v]

 8節には

アハズの日時計に落ちた時計の影を十度後に戻す。

という、これまた大奇蹟が出て来ます。欄外に「直訳「度」「階段」」とあります。今の「日時計」というより、階段に太陽の投げかける影が時間と共にずれていく、そういうものだったのかもしれません。ある人は、ヒゼキヤが病室から外を見るとその階段が見えたのだろう。そこに落ちる影が、階段を上って、また降りて、夕方にはどんどん長く伸びていくのに、自分のいのちが終わっていくのが重なったろう、と描いているそうです[vi]。影が階段を上り、また下って行く、それを力なく見ていたヒゼキヤはたまらずここで大泣きしたのでしょうか。その祈りを主が聞き、涙を見て、前言を撤回してくださり、階段に長くなる影が、十段分戻されるのを見て、どんなに力づけられたか。

 これはヒゼキヤ個人のエピソードというより、聖書の語る大きな全体像というパズルの一ピースです。ヒゼキヤは寿命を延ばし、子どもが生まれ、ダビデ王朝は継続し、その末に約束のメシア、イエス・キリストが来られました。イエスは本当に真実と全き心をもって御前に歩み、主の目にかなうことを行う生涯に御自身を献げました。イエスはその死を前に、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いを捧げましたが[vii]、それは自分のためではなく、私たちのための祈りでした。このイエスこそ本当のメシアです。他の誰も、ヒゼキヤだろうと、信仰深く見える誰だろうと、メシアではありません。不完全で、病気や死と無縁ではない者です。そして、私たちの確かな救い主がおられるからこそ、安心して、涙を流し、運命に逆らうような願いを献げて良いのです。そして、そのような拙い祈りさえも主は耳を傾けてくださいます。悲しみを注ぎ出して捧げる祈りが応えられることも、主イエスを迎える欠かせない1ピースでした。まして今、主イエスの十字架と復活が果たされた後は、イエスへの信頼をもって、私たちは安心して心の願いを祈ります。「まだ死にたくありません」とじたばた泣き叫ぶことも出来る、その幸いが与えられます。そして、その祈りがそのままに答えられないとしても、そんな祈りもまた、この世界を贖い、堕落の破れを繕う祈りとして聞かれているのです。

「全世界の創造者、王にして、私たちの涙もうめきも慈しむ神様。復活の希望を祝うイースターの翌週、永遠の手前にある今、ヒゼキヤの祈りを聞かれた主を仰ぎます[viii]。いのちを愛しみ、ご自分の命と死も厭わず、永遠のいのちを与えるご愛を感謝します。今、影のような日々も儚いものとせず御業を現してください。命の階段を一段一段ともに上り、ともに下ってください。そして、限られた生涯を整理しつつ、あなたが尊ぶ命を私たちも互いに尊ばせてください」

[i] 「ヒゼキヤの治世に関する論争により、この「当時」という記述は大きな議論の的となっている。もし彼が716年/715年に統治を始め、29年間統治したとすれば(列王記下18:2, 13)、この出来事(15年が加算される)は701年頃、セナケリブの侵攻時に起こったことになる。この場合、36章から39章はおおよそ年代順になる(病気が襲撃の直前、襲撃中、あるいは襲撃後のいずれに発生したかを判断するのは困難である)。一方、もしヒゼキヤが727年/726年に統治を始めたとすれば(列王記下18:1)、彼の死は696年であり、彼の病は15年前の711年頃と推定される。この場合、38章と39章は上述のように思想的な理由から現在の位置に位置づけられることになる。

総合的に判断すると、後者の説の方がやや可能性が高いように思われる。ヒゼキヤは紀元727/26年に、おそらく父アハズと共同統治者として統治を開始したと思われる。さらに、バビロニアの反乱者メロダク・バラダンは紀元703年までに姿を消していたようだ。さらに、ヒゼキヤがアッシリアからの大救出を経験したばかりであったとすれば、バビロニアの使節がヒゼキヤの回復のみを祝福しに来たとは考えにくい。さらに、ヤングらが指摘するように、神殿の宝物のほとんどは、センナケリブへの最初の、しかし失敗に終わった貢物を納めるために剥ぎ取られており、それ以降にバビロニア人がやって来ても、彼らに見せるものは何も残っていない。最後に、バビロニアの革命者メロダク・バラダンの年代(39:1参照)は、病気がセンナケリブの攻撃の後ではなく、それ以前に発生したことを裏付けているように思われる。

もしそうであれば、なぜ38章と39章が時系列順ではなく、36章と37章の前ではなく後に置かれているのかという疑問が生じます。その答えは、確かに前述の神学的理由によるものです。実際、神への信頼による諸国民からの解放と、ヒゼキヤによるメシア王国の樹立は、当時のユダにとって最終的な結論ではありませんでした。指針となる原則のいくつかは既に示されていましたが、ユダの人生においてしもべであることの意味が理解されるまでには、さらに多くの出来事が必要でした。この観点から見ると、著者もしくは編集者は、ヒゼキヤの人生におけるこれらの過去の出来事を捉えて、これらの重要な点を指摘したと考えられます。」 オズワルト

[ii] Ⅱ列王18・2:彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビといい、ゼカリヤの娘であった。

[iii] Ⅱ列王21・1、参照。

[iv] それはこの時、初めて持ち上がった問題でもないはずです。25歳で王となって14年、彼は真実と全き心をもって主の御前に歩み、主の御目にかなうことを行ってきた、と言える程、努めて主を恐れる王でした。しかし、その間、子が生まれない事実は、彼の心に常に、不安と疑いの小さな影を落としていたはずです。

[v] 「なぜヒゼキヤの死すべき運命と無力さをこれほど強調してこの書に記さなければならないのかという疑問への答えとして、この問いが浮かび上がります。明白に思える答えは、ヒゼキヤが約束のメシアではないことを意識的に明らかにしようとしているということです。ヒゼキヤは神を信頼し、滅亡の淵から民を救い出す能力を持っていましたが、イザヤが語った「子」ではありません。ヒゼキヤは、民が神に仕えるために不可欠な信頼を体現していましたが、その信頼を託すべき方ではありません。その方については、より詳細な啓示(40章から66章)がまだこれからです。」、オズワルト

[vi] 「ここで言及されている階段が正確に何を意味するのかは定かではありません。時間を計測するために意図的に設計された装置の一部だったのかもしれませんし、あるいは宮殿の外にある普通の階段に夕日がたまたま影を落としたのかもしれません。前者の場合、その装置はおそらく頂上に柱がある階段状のピラミッドだったと考えられます。つまり、朝には柱の影は西側の階段を上り、午後には東側の階段を下りることになります。

GAスミスは、病室から容赦なく階段を下りてくる影を見つめる、死にゆく王の姿を鮮やかに描いています。王は、衰えゆく自身の体力を、長く伸びる影と結びつけ、迫り来る夕焼けを恐怖とともに思い描いたことでしょう。預言者が影を10段前進させようと申し出たとき、王が驚いたことは容易に想像できます。神の猶予の印として、影を後退させ、階段を上る方がずっと良いのです(列王記下20:9-10)。」オズワルト

「アハズの日時計」については、こちらも参考に。https://aea.mcmaster.ca/index.php/en/database/sundials/miscellaneous/sx-emc-cg-33401 https://www.sentinelapologetics.org/single-post/2018/06/16/the-sundial-of-ahaz

[vii] ヘブル人への手紙5・7:キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。

[viii] 「(前略)キリスト者にとっては、主イエスの十字架の贖いと死への勝利を通して、罪の赦しと復活の恵みに与ることを改めて覚える機会でも(イースターは)ある。死後の復活、それは人類にとって不可避な断絶である死すら超越する究極の希望と言えるが、時にその「光」が強すぎるあまり、死の重みや痛みを見えにくくすることがないだろうか。大切な人を亡くしたばかりの人を励まそうと善意で語られたとしても、その絶望と悲しみに共感するよりもむしろその人の孤独を深めてしまうケースがある。あるいは、リアルに死を知らないまま「復活の希望」を安易に口にする時、死を軽んじているとすら受け取られかねない真実味の欠如が起きるかもしれない。」「大切な人を亡くした人が、『(故人が)信仰をもっていたならよかったじゃない』『悲しむのは不信仰だ』などと教会で言われて傷ついた、という相談(何度も受けたことがあるの)です。イエス様も、死に対してははらわたが動かされるほどの悲しみで涙を流されました(ルカ7・13他)。死というものの残酷さ、それに対する怒りや悲しみをよくご存じだったからこそ、十字架の死と復活によって人間を死から解放されたわけです。その意味では、私たちは完全に絶望することはないけれども、大切な人と地上では断絶してしまうという現実は、ものすごく痛みが伴うことのはずです。」(吉川直美)『クリスチャン新聞』2026年2月15日号、6~7ページ特集より。