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2025/5/11 イザヤ書10章1〜11(5~11節)「弱い者の訴え、貧しい者の権利」

 10・1~4は、イスラエルの国の不正・暴力を訴えています。4節の後半

それでも御怒りは収まらず、なおも御手は伸ばされている。

これは9章の最後にも同じ言葉があり、9・8から四~五節ずつのまとまりで、最後の12、17節を結んでいる繰り返しです。10・1~4は四回目の段落で、当時の人々の罪を責めています。

わざわいだ。不義の掟を制定する者、不当な判決を書いている者たち。彼らは弱い者の訴えを退け、私の民のうちの貧しい者の権利をかすめる。こうして、やもめは彼らの餌食となり、みなしごたちは奪い取られる。

 こういう社会の不公正、弱者が蔑ろにあしらわれている現実を、ここで言語道断だと非難しているのです。その不正は社会の底辺のことで表立った問題ではなかったでしょう。むしろ社会を効率よく、生産的に回していくためにこそ、弱者や底辺層の訴えになど、いちいち耳を傾けて、時間をかける無駄はしない――貧しい者の権利など認めないことで大多数が安心して生活できている――そういう面は今も変わらずありますね。しかし、神はその弱い者、貧しい者の声にこそ耳を傾けます。小さな人の、声を奪われた叫びを代弁して、非難されるのが神です。9・8からの四回目のまとまりですが、今まで三回、外国からの脅威と、国の中の秩序の崩壊、そして火に焼かれて荒廃する、結果を語ってきました。その締め括りの10・1~4に至って、その原因が不当判決や弱者の抹殺の問題だと確認するというところに、本当に神の心がどこにあるか、が現れています。人間の根本にある罪は、この神から離れることです。しかし、神はただご自分への礼拝や捧げものを求め、「わたしを第一とせよ」と要求しはしません。実際、当時のイスラエルの民は、神への形式的なまがりなりにも続けてはいたのです。

 5「ああ、アッシリア、わたしの怒りのむち。わたしの憤りの杖は彼らの手にある。わたしは、これを神を敬わない国に送り、わたしが激しく怒る民を襲えと、これに命じる。物を分捕らせ、獲物を奪わせ、道端の泥のように、これを踏みにじらせる。

 「神を敬わない国」とあるのはイスラエルのことです。この後の10、11節で「エルサレム」とあるように、イスラエルが南北に分裂した、より異教的になっていた北イスラエルでなく、エルサレム神殿のある南ユダも含んでいます。神殿儀式は続けられ、礼拝に来て、捧げものや奉仕や義務は果たされていた。しかし、神殿の外では不正が横行していました。神の裁きなど侮っていました。だから神は、アッシリア帝国をご自分の「怒りのむち…憤りの杖」として用いて、ユダとイスラエルを襲わせるのです[i]。ここに聖書の神は、聖書を信じる人たちだけの神、ではなく、すべての人々の神であり、すべての国々、帝国、大王よりも大きく、彼らは神の手の中にある道具として用いられる、という大胆な告白があります[ii]。しかし、です。

 7しかし、彼自身そうとは思わず、彼の心もそうは考えない。彼の心にあるのは滅ぼすこと。少なからぬ国々を絶ち滅ぼすことだ。というのは、彼がこう思っているからだ。「私の高官たちはみな王ではないか。カルノもカルケミシュのよう、ハマテもアルパデのようではないか。サマリアもダマスコのようではないか。…」

 このカタカナの地名はアッシリアが滅ぼしてきた北方の国々の都です[iii]。既にこれだけの都市を攻め落としてきた。それと同じように、サマリアも攻め落とし、エルサレムにもしよう。

10エルサレム、サマリアにまさる刻んだ像を持つ偽りの神々の王国を私が手に入れたように、11私はサマリアとその偽りの神々にしたように、エルサレムとその多くの偶像にも同じようにしないだろうか。」と豪語する。これはアッシリアの思い上がった甚だしい勘違いです。

 アッシリアは「自分は神の道具に過ぎない。神の手が私を用いているのだ」と自覚していません。アッシリアは正しくもなく、その略奪が何でも正当化されるのでもありません。神がアッシリアを用いるのと、用いられるアッシリアの思惑とは全く別のことです。特にここ7節で言われます。

彼の心にあるのは滅ぼすこと、少なからぬ国々を絶ち滅ぼすことだ。

――アッシリアの野望は「全地の破壊」などでなく、「大アッシリア帝国」の確立、世界を広く支配下に治めるという大義だったでしょう。周辺諸国が進んで貢物を治めれば軍事行動はとらなかったのです[iv]。主な住民を移住させて、別の住民を連れて来る「捕囚」という政策も、「新しい国」作りを目指した現れです。しかし、その思惑を拒む国や民族には容赦はありませんでした。彼らの野望は「建て上げること」でも、それに反逆的な国々を踏み躙ることは厭わない。戦前の日本が「大東亜共栄圏」という大義を掲げつつ、各地では国も生活も言語も奪って、共栄どころではありませんでした。それが「彼らの心にあるのは滅ぼすこと」と言われています。

 翻って、主の心にあるのは「滅ぼすこと」ではありません。民の不正、弱い者の訴えを無視する冷酷さ、自己中心を責めて、アッシリアさえ用いますが、それは罰して滅ぼすためではありません。滅ぼすことではなく建て上げること、生かすこと――弱い者の訴えや貧しい者の権利を大事にする心ある新しい民として生まれ変わらせる――それが「神の心にあること」です。

 そのために、神はアッシリアさえ用いるし、様々なものを手段とする、実に偉大な方です。

ローマ8・28神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人々たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

 そこには神がすべてのことを働かせて、私たちを御子に似た者へと形作る、という目的があります[v]。神は禍や暴力や悪人、どんなことをも用いられるのです。しかし、それはその道具が正当化されるのとは違います。どんな乱暴や悪も許可されるどころか、それはそれで裁かれるのです。それは、神の心にあるのは滅ぼすことではないからです。神の心には、人の悪に対する怒りとか復讐心とか腹いせとかではない――どこまでも、人を癒すこと、私たちを生かすことがあるのです。弱い者の訴えを聞き逃さない神は、すべての人が苦しみに耳を傾けることをも願っておられ、あらゆる手段を用いてそうしてくださる神です。そして、神がそこに働いてくださるから、苦しみや禍さえ、絶望ではなく、意味あるものとなり、益とされるのです。アッシリアの野望が、戦争や病気が、犯罪被害や不慮の事故が、それ自体、意味があるとか許されるわけではないのです。ただ、それらのものをさえ用いる神がおられます。それらを御手の中の道具として、私たちの高ぶりを打って弱くし、貧しくして、私たちの心や生き方を、深いところから造り変えてくださるのです。これが、神の心にあること、救いのご計画です。

 こんな神だと知らないから、イスラエルの民は礼拝や儀式だけの宗教生活でよいと考えました。アッシリアは自分たちの快進撃が自分の力だと思い上がりました。その進軍に呑み込まれたカルノやカルケミシュの国々が拝んだのも、この神とは違う、人間が想像して作り上げた神に過ぎませんでした。それらの偶像の神々と変わらない、と小さく考えていたアッシリアの思い上がりはこれから挫かれていきます。それは、イザヤ書の真ん中、36~37章で詳しく語られる大きなクライマックスでもあります。しかし、私たちはそのことを自慢して、この神の力を誇るのでしょうか。私たちの神こそ強い、本物だ、とドヤ顔をするのでしょうか。

 それ以上に、この神が弱い者の声を聞かれること、そのために自ら弱い者となってくださったこと、そのイエスを十字架につけた罪が私たちの心にある罪であることを告白するのです。そして、イエスがご自身のいのちを与えてくださったことによって、そのいのちによってのみ、私たちの心は変えられます。私たちの生き方を心から新しくするため、神はひとり子イエスを与えてくださった。この神の心を忘れて、他の偶像を拝むのと変わらなくなってしまう私たちを救い出し、私たちに仕え続けてくださっているのも、神の憐みの御業なのです。

「主よ。裁きはあなたの業です。人や私たちが用いられる時も、滅びを願う心が少しでもあるなら、私たちも裁かれるのです。その私たちのための十字架を仰ぎます。人の罪と、あなたの救いのご計画とが一つになった御業です。戦争や犯罪、病気や悲惨が絶えないこの世で、主よ、憐れみによって悪を終わらせてください。命の光を私たちの心にも灯してください。悪をも用いる御心が見えない夜にも、主イエスが貧しい者を愛おしむ光で、私たちを導いてください」

[i] アッシリアの情け容赦ない侵略・略奪はこの後、紀元前722年に北イスラエルを終わらせます。そして南ユダのエルサレムにも、前701年にアッシリアは押し寄せてきます。

[ii] 「現代の旧約学を切り拓いたフォン・ラートという人は、今回の箇所について「他のどのテキストよりも、預言者的歴史観を認識させるものである」として注目しています。…それは、神は自らの民を裁くために、他国の勢力(多くはその時代の超大国)をその道具として用いるという世界的な動きをするということでした。他方、他国の勢力がその役割を果たさなくなった時には、神はこれを批判し、新たな計画に従って「神の業」を実行するのです。このような預言者的歴史観は、紀元前八世紀のアッシリアとの関係において一つの先行例としてこの箇所に展開されています。/また、時代が下ってエレミヤ書においては、バビロン捕囚(紀元前六世紀)という徹底した神の裁きを具体的にもたらしたネブカドネツァルが、「私(神)の僕」と呼ばれています(727・6等)。さらに、逆にそのバビロン捕囚からの解放を実現させたキュロスは、イザヤ書において「油を注がれた人キュロス」(5・1)と呼ばれています。このように神は他国の王を用い、自分の民を裁き、また救済するというダイナミックな存在であるとの確信が、この箇所(10・5~15)に示されている預言者的歴史観の特質です。」、大島、『イザヤ書を読む 上』、120、124〜125ページ

[iii] 「ダマスコはアラムの首都で、紀元前七三三年に、ティグラテ・ピレセル 三世によって滅ぼされました。」(油井、89ページ)、「パレスチナからずっと北のユーフラテスにあるカルケミシュからカルノ、ダマスコより約 百六十キロメートル北にあるハマテへ約八十キロメート ル南のアルパデからダマスコへ、それからサマリヤへと、 アッシリヤの手は無敗であることを証明してきたのであ る。」(モティア、124ページ)

[iv] 「ティグラテ・ピレセル3世以降、アッシリヤは、3つの方法で属国に対処した。ある国家は、自ら進んで屈服することによって、衛星国になった。それらの国々は、アッシリアの主権に従うしるしとして、贈り物や貢ぎ物を送った。アッシリヤが軍事的な行動に出る時は、当然のこととして、それを支える義務もあった。ただ、このような国では、アッシリヤの干渉は、最小限のものだった。/しかし、自発的に服従することを拒んだ国家、町、民や、アッシリヤの権威と主権に反逆した衛星国の場合は、征服され、その国家は隷属的な属国となった。その国の王は、もしアッシリヤに忠誠を誓えば、なお国を支配することは許された。しかし、そのような属国の中枢においては、アッシリヤの官吏がより大きな権能を持っていて、アッシリヤの利害を守っていた。/第3は、反逆を企てた属国のための対処である(通常、反逆の兆候は、年貢を出さないことに表れた)。そのような反逆的な国家は、アッシリヤの領地にされた。この場合は、しばしば、主要な町の破壊、反逆者の処罰、上層階級の流刑、また、その国の支配者を、アッシリヤの軍事的な総督と取り替える、ということが行われた。他のアッシリヤ帝国の領土の民を、新しい領地に連れて来て住まわせる、ということもよく行われた。/この3つの従属の形態は、いずれも、イスラエルとユダの歴史において見られる。(以下、略)」、ジョン・ピムノン『わかりやすい旧約時代の生活ハンドブック』(後藤敏夫訳、いのちのことば社、1990年)、51ページ。

[v] ローマ人への手紙8章26節の欄外には「異本では「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」」とあります。これは写本の異なる「異本」の読みであって、原典では「すべてのことがともに働いて益となる」という読みが本来だったろう、という理解に基づきます。そういう意味では、ここには「神が働かせる」とは言われていません。しかし、次の29~30節には「神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。30神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。」とあり、神が主体者であることが述べられています。その意味で、28節の「すべてのことがともに働いて益となる」のもまた、神の御業であることは明らかです。