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2024/7/21 ヨハネの福音書18章12〜24節「問い返す被告人」

今日の箇所に出てくるアンナス――大祭司カヤパの舅(しゅうと)という人物は1世紀の記録に詳しく伝えられている人です。この人自身、ユダヤの大祭司でしたが、息子に大祭司職を譲り渡して、次々にその弟たちを大祭司に任職させ、五人目の娘婿カヤパに継がせたそうです。つまり、譲り渡したとは形ばかりで実権はシッカリ握っていた、当時の宗教界の頂点を自認していたのがアンナスでした。本来「大祭司」は終身身分で、また一人だけです。息子に譲ったら、自分は大祭司ではなくなるのが本来です。しかし以前から百年以上にわたって大祭司職は権力争いの座と化し腐敗していました[i]。中でもアンナスは特に悪名高く、神殿の売り上げを牛耳っていました。そして現職のカヤパも

14カヤパは、一人の人が民に代わって死ぬほうが得策である、とユダヤ人に助言した人である。

とある通り、人民を犠牲にして自分たちの安泰を語って憚らない、とんでもない祭司でした。アンナスと聞く名前だけなら美味しそうですが、実際は俗物根性の守銭奴、悪代官でした。当時の祭司職・礼拝の腐敗に繋がる名前なのです[ii]

今日の箇所も

13まずアンナスのところに連れて行った。彼が、その年の大祭司であったカヤパのしゅうとだったからである。

という、ヨハネだけが伝える経緯(いきさつ)から始まりますが[iii]

15シモン・ペテロともう一人の弟子はイエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の家の中庭に入ったが、16ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いだったもう一人の弟子が出て来て、門番の女に話し、ペテロを中に入れた。

というこの大祭司の家とはカヤパの家だろう、と思いますね。そして、19節で、

19大祭司はイエスに、弟子たちのことや教えについて尋問した。

という流れは、この「大祭司」がカヤパだろう、と思うわけですが、

24アンナスは、イエスを縛ったまま大祭司カヤパのところに送った。

と出て来て、アンナスのことだとわかるわけです。

ヨハネの福音書を最初に聞いた、一世紀末の教会でも、権力に脅しをかけられる苦しさはあったでしょう。それ以来、聖書を読む人々は常に、社会の権力の中でプレッシャーに晒され、理不尽な思いと無縁ではありません。そこで怯えてしまいそうになる。ペテロもそうでした。

17すると、門番をしていた召使いの女がペテロに、「あなたも、あの人の弟子ではないでしょうね」と言った。ペテロは「違う」と言った。

一緒にいた弟子(誰かは分かりません[iv])がイエスの弟子だと知られていて平気で出入りしているのですから「俺もあのイエスの弟子だ」と言えばよいのです。笑われるか馬鹿にされるかもしれませんが、捕まるとか殺される心配は無用なのです。なのにペテロは否定してしまう。これがこの後二度の否定への布石になります。これは来週にします。対照的なのがイエスです。

20イエスは彼に答えられた。「わたしは世に対して公然と話しました。いつでも、ユダヤ人がみな集まる会堂や宮で教えました。何も隠れて話してはいません。21なぜ、わたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、それを聞いた人たちに尋ねなさい。その人たちなら、わたしが話したことを知っています。」

こうイエスは淡々と答えるのですね。そのアンナスに、イエスは淡々と答えます。

ここで最初にあるのは「公然と」という言葉です。今まで、特に7章でイエスは公然と話しをしていました。しかし公に話をしても人々は聞かなかったのです。12章37節「イエスがこれほど多くのしるしを彼らの目の前で行われたのに、彼らはイエスを信じなかった」。今日の20節のイエスのことばは、公然と話したのを聞いた人たちに聞けば、わたしの無実は分かる筈だ、という意味ではありません。自分の釈放を願って人々に聞くよう尋ねるわけでも、恨みを込めて非難しているわけでもありません。イエスはこれからの裁判、十字架、死こそ、ご自分の時、神の栄光を現す「一粒の麦の死」と見ています。ここでイエスが問うているのは、本人を尋問するだけで、証人を呼ぼうともしない裁判はあり得ないからです。公然と裁判をせず、密かに呼びつける。いくつもの司法手続きを破っていることをイエスは指摘します[v]。それは、自分が釈放されるためではありません、大祭司アンナスに対しても対等に接し、怯むことなく可笑しいことは可笑しい、答える必要のないことは黙する、そういう人としての毅然さです。

22イエスがこう言われたとき、そばに立っていた下役の一人が、「大祭司にそのような答え方をするのか」と言って、平手でイエスを打った。

イエスの答は、その場にいた人からすると、大祭司に対する侮辱、非礼に見えたのでしょう。イエスの言葉が正論だとしても、それを大祭司に向かって言うとは、それだけで問題。正当か不正か、良いか悪いか、でなく、身の程を弁えることが大事、権力によって善悪がどうとでもなる…そういう理屈です。それでイエスを平手打ちにすることが正当化される。これに対して、

23イエスは彼に答えられた。「わたしの言ったことが悪いのなら、悪いという証拠を示しなさい。正しいのなら、なぜ、わたしを打つのですか。」

イエスはこの下役に対しても等しく対等に、公正を求めます。大祭司もナザレの田舎者も、神の法の前では平等で、証拠を示す裁判をする。そういう原点を問いかけるのです。ここについている欄外注、マタイ5章39節は、有名な

悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬を向けなさい。

です。でもここでイエスは平手で打たれて、反対の頬を向けた、とはありませんね。反論しています! だからマタイ5章の有名な聖句は、字面通りの命令というより、意外な応対で相手を驚かし、和解への道を開かせる言葉でしょう。そしてヨハネ18章のイエスは、まさに平手で打たれても、堂々と相手に抗弁することによって、「大祭司に向かってそんな言い草はありえない」という思い込みにヒビを入らせるのです。

ここでイエスは、自分が本当は神の子、王なるメシアなのだ、という独自の立場には一度も訴えません。打たれて「お前こそ神の子であるわたしにそのようなことをするのか」とはいいません。ただ、正しい裁きをせよ、証拠もなしの罰はそれ自体が不正だ、と言うのです。ここだけではありません。イエスの生涯の最初、マタイ4章の「荒野の誘惑」でも、イエスは悪魔の誘惑に対して、み言葉で応えました。神の子の力で石をパンに変えたり、塔から飛び降りたりせよ、と唆されても、人として、聖書のことばで応じて、誘惑を退けました。同じようにここでもイエスは、裁判の場でも人として被告の席の侮辱を受けています。真の大祭司であるお方が、不正と悪意の大祭司の法廷で、正論を述べたら身の程知らずだと平手打ちされるような蔑まれた姿に立たれて、なお堂々と公正を求めています[vi]

大祭司を名乗るアンナスやカヤパと、真の大祭司、私たちの永遠の大祭司であるイエスとは全く違うお方です。イエスは御子の座を惜しまずに降り、低く卑しめられることも厭いません。アンナスは権力の座に固執し、自らは法を破りながら、下々を裁き、自分への無礼を許さなかった。その権威をイエスは、神の子として、ではなく、私たちと同じ人となった立場から不正とされました。もし私たちが、自分が上の立場だとか、親や上司、教会や牧師や聖書の権威にもたれかかって人を従えようとするなら、それはイエスの道ではなく、イエスを打った下役と同じになります。そして、イエスはそんな、権威にもたれかかる誤りを引き降ろし、暴力に抗議してやまない方です。不正、横暴、理不尽がある中で、黙って反対の頬を差し出すおとなしさではない。(勿論、剣で抵抗することも禁じることは11節でみた通りです)。ただ、深い恵みをもって、地位や脅しにもひるまず、打たれている者、理不尽な者、そして、ペテロのように臆病を晒す者をあわれんでくださった。その徹底した姿に、神の栄光は現れていくのです。

「主よ、捕えられ、平手で打たれた受難の始まりを今日から共に読み始めながら、あなたは既に最初から、人の苦難、痛み、不正をずっと共に背負い、苦しんで来られた方であることを告白します。主よ、私たちの痛みを癒し、硬直した正しさから救い出し、あなたと共に歩む命の道へと導いてください。御子イエスのこのお姿にも、あなたの栄光が輝いています。私たちへの愛が現れています。人の不正も権力も、あなたが打ち破られたことを銘記させてください」

[i] 「アンナスはおそらく、西暦35年に死ぬまで、義理の息子カヤパを通してを含め、その家庭内で権力を行使し続けたと思われる(特に、大祭司の召命は生涯にわたる性格を持つという聖書の伝統を彼らが個人的に認めていた場合)。シリアの使節ウィテリウスは西暦36年にカヤパを解任した後、アンナスの息子ヨナタンを後任に据えた。やがてアンナスの5人の息子全員がその職に就いたことから、アンナスが実際にかなりの影響力を行使していたことが窺える。…アンナスの狡猾な性格と、神殿の敷地内で売られる犠牲動物に法外な値段を要求する彼の習慣はよく知られている。神殿の店は「アンナスのバザール」。タルムードの一節にはこう記されている。「ハニンの家(アンナスの家族)のせいで私は悲惨だ、彼らのささやき(抑圧的な手段を考案するための秘密の会合)のせいで私は悲惨だ」(b. ペサハ。57a)。イエスがまず教会の権力構造を支配していた人物のところに連れて行かれたのは驚くに当たらない。アンナスは、神殿を浄化することで彼の既得権益を攻撃した人物が今や縛られ、「正義」に引き渡されるのを見て個人的に喜んだだろう。」キドナー、Google翻訳による。

[ii] 改めて言っておきますが、裁判によって、イエスの教えや活動や許し難いから死刑だ、となったのではありません。最初から、イエスを殺すという結論は当局の側で決まっていて、裁判は形式的に行われたに過ぎませんでした。

[iii] マタイ、マルコ、ルカの福音書は、ゲツセマネで逮捕された後、イエスは大祭司カヤパのところに連行されて、最高議会の審問を受けて、その後ローマからのユダヤ総督ポンテオ・ピラトの所に送られた、とあります。アンナスのところへの連行は伝えられていません。このあたりの整合性をどう図るか、という方法には諸説あります。

[iv] 福音書記者のヨハネだ、という学者もいますが、むしろヨハネではない、というのが妥当でしょう。

[v] 「福音書筆者らは、おそらく手続き違反を伝えようとしたのであって、描写している模擬裁判や虐待が標準的なユダヤの慣習であるかのように見せかけようとしたのではない。1751 ここで、手続き違反の可能性について触れておく必要がある(法律が初期のものであり、福音書筆者らやその伝承がそれを手続き違反として描写しようとしている場合)。後代の資料がサンヘドリンが尊重したであろう法的倫理の信頼できる描写を提供している限りにおいて(そして、より広範な地中海の法的倫理は、彼らが少なくとも後にラビ文学に保存された原則の多くを理想的とみなしていたことを示唆している)、福音書の裁判の物語に示されている法的倫理のおそらく違反には以下が含まれる。

まず、裁判官は死刑裁判を日中に行い、終結させなければならない(m. Sanh. 4:1)。176| これは、イエスをピラトに連行する前に、午前 5 時 30 分頃に遅く、短く、より公式な会議が行われたことを説明できるかもしれない(ルカ 22:66-71 参照、ヨハネ 18:24 参照)が、大祭司たちはおそらくそのような詳細には関心がなかった。さらに、裁判は安息日や祭日の前夜に行われるべきではない(177)が、この日はまさにその日である(18:28)。しかし、役人たちはこれを緊急事態とみなしたのかもしれない。178| パリサイ派の解釈でさえ、巡礼祭で異常な犯罪者を処刑し、他の人々に同じ犯罪を繰り返さないように警告することを支持した。1791 犯罪者には、偽預言者と見なされた人々などが含まれていた。180)

司法倫理に違反する可能性のある他の事例も発生している。ミシュナがパリサイ派の見解を示唆しているとすれば、パリサイ派の良心の呵責も、有罪判決を下す前に 1 日を経過することを要求していた (m. Sanh. 4:1)。しかし、必要以上に権力を共有することを嫌ったサドカイ派は、パリサイ派が適切と考えるよりも迅速な処刑を一般的に好んだ可能性がある 1811 さらに、サンヘドリンは大祭司の宮殿で会合すべきではなかった。182) 彼らの通常の会合場所 (ラビの資料では「切り石の部屋」と呼ばれている) は神殿の丘またはその近くであった (m. Mid. 5:5; Sanh. 11:2; ヨセフス戦争 5.144)。|183]

最も明白なことは、ユダヤ法が偽証を禁じていたことであり、これは共観福音書の受難物語に記されている。死刑事件における偽証に対する聖書の刑罰は死刑であり(申命記 19:16-21)、少なくともその後のユダヤの理想は、ローマ法と同様に、この刑罰を適切と見なし続けた。証人尋問はユダヤ法では標準的であったが、1861、明らかに尋問官はここで職務をうまくこなし、予想外の矛盾を生じさせた。結局、これらの証人は、イエスが神殿に対する裁きを宣言したことについて、支離滅裂な説明しかできなかった(ヨハネ 2:19、使徒行伝 6:14 参照)。これは、サンヘドリンにとって、イエスを有罪とするのに十分な政治的理由と思われたかもしれない。187| ヨハネは、受難そのものの間、イエス以外に証人がいなかったと報告している(18:37)。」キドナー、Google翻訳による。

[vi] この姿をヨハネはここに書きながら、同じ時代のキリスト者たちを思い浮かべていたのでしょう。不正な裁判に引き出され、理不尽な目に合わされている人たち。そのあなたがたとイエスは等しくなり、ご自分の神性に訴えることなく、不正の悔しさも平手打ちにされる痛みも知っている、と重ねたでしょう。